名付け親のMadrinaに就任
2013年 01月 27日
ペルーからめでたい一報が飛び込んできました。
去年の12月7日、親友のアルトゥーロとエレナの間に女の子が誕生しました。
2回の流産という悲しい出来事を経て、やっと、やっと授かった赤ちゃん。2009年、2010年、2回の流産を一緒に悲しんだあの日々。
病院のベッドで涙を流すエレナと「お金はかかるけど、首都のリマの病院に行こう!」と3人で話し合った日。
エレナがリマで検診と治療を受けた2ヵ月、カハバンバに残ったアルトゥーロと2人でチーズやバターを売ったり、木の実を採ってジャムを作って売ったり、リマにバターやチーズを送って売ったり、病院費用を稼ごうと頑張った日々。
あの日々を経て・・・
そして、2011年に帰国して、半年ほどが経った頃に2人から妊娠の報告を受け、「今度こそは!」と頻繁に連絡をとっては話していました。
リマで出産する予定でしたが、カハバンバからリマまではバスで20時間。しかも山のガタガタ道そして標高4000mを超える山々を超えるという悪路。腹痛があったり体調を考慮してカハバンバで産むことに。
予定日は12月28日だったのですが、「主治医が12月8日から旅行に出かける。」ということで、12月7日に帝王切開で出産。そんな主治医のバカンスで出産日が決まるなんて・・・さすが、カハバンバって感じですが、ついに産まれました!
自分の事のように嬉しいメデタイ出来事。そして衝撃的なことが!
この子の名前がMIEKO CATARINA(ミエコ・カタリーナ)と命名されました。
前から女の子が生まれたら名前を頂戴。とお願いされていたのです。「いいよ~!」と冗談半分に答えていたら「正式にMIEKO CATARINAで登録したから!」と。
ペルーでは日本の様に名前に由来はなく、人の名前を頂戴することが多いらしいのです。
ということで、私は名付け親(Madrina)となったので、「MIEKO CATARINA」を抱いてあげないといけないわけです。実に光栄です!
去年の12月7日、親友のアルトゥーロとエレナの間に女の子が誕生しました。
2回の流産という悲しい出来事を経て、やっと、やっと授かった赤ちゃん。2009年、2010年、2回の流産を一緒に悲しんだあの日々。
病院のベッドで涙を流すエレナと「お金はかかるけど、首都のリマの病院に行こう!」と3人で話し合った日。
エレナがリマで検診と治療を受けた2ヵ月、カハバンバに残ったアルトゥーロと2人でチーズやバターを売ったり、木の実を採ってジャムを作って売ったり、リマにバターやチーズを送って売ったり、病院費用を稼ごうと頑張った日々。
あの日々を経て・・・
そして、2011年に帰国して、半年ほどが経った頃に2人から妊娠の報告を受け、「今度こそは!」と頻繁に連絡をとっては話していました。
リマで出産する予定でしたが、カハバンバからリマまではバスで20時間。しかも山のガタガタ道そして標高4000mを超える山々を超えるという悪路。腹痛があったり体調を考慮してカハバンバで産むことに。
予定日は12月28日だったのですが、「主治医が12月8日から旅行に出かける。」ということで、12月7日に帝王切開で出産。そんな主治医のバカンスで出産日が決まるなんて・・・さすが、カハバンバって感じですが、ついに産まれました!
自分の事のように嬉しいメデタイ出来事。そして衝撃的なことが!
この子の名前がMIEKO CATARINA(ミエコ・カタリーナ)と命名されました。
前から女の子が生まれたら名前を頂戴。とお願いされていたのです。「いいよ~!」と冗談半分に答えていたら「正式にMIEKO CATARINAで登録したから!」と。
ペルーでは日本の様に名前に由来はなく、人の名前を頂戴することが多いらしいのです。
ということで、私は名付け親(Madrina)となったので、「MIEKO CATARINA」を抱いてあげないといけないわけです。実に光栄です!
by mieko_0220
| 2013-01-27 12:17